仏教Q&A

因縁

善因善果(ぜんいんぜんか)、悪因悪果(あくいんあっか)と申しまして、善行を行えば善い結果が得られ、悪行を行えば悪い結果がかならずあらわれてくる。これは因果の法則というものです。世間の教えにも「勧善止悪」がありますように、善いことを勧め悪いことを止めることでもあります。

私たち自身の生命はどのようにして生まれてきたのだろうか、単なる偶然にできたのだろうか。いや、何事も「因」と「縁」によって生じてくるものです。形や姿ができるのも、何かの因と縁によって様々に変化して発生するのです。

私たちの日々の生活は自分の業(ごう)による行いの力によって、常に移り動いているのです。私たちは凡夫(ぼんぷ)の悲しさでわからないだけであります。自分の生命の変化は業によって動くものです。

日蓮聖人は『前世の業因(ごういん)によって営むべし』と仰せられています。

すなわち、自分の行いによって自分がその結果を受けるのです。ですから「自業自得」というのです。今、私たちが受けている苦しみや楽しみというものは、自分の過去の行いの結果が生じたものであります。しかもこの因縁果報(いんねんかほう)は、過去・現在・未来と三世にわたるので、私たちの業(ごう)、すなわち行いは現世だけのものでなく、過去の世までもさかのぼりなかなか深いものがあります。ときには悪い因縁のものもあります。

お経の中に、『悪業(あくごう)の因縁のため、正しい法を聞くことができない』と説かれていますが、私たちは今世(こんせ)で受けがたき人界(にんかい)に生を受け、逢いがたき法華経(正法)にあいたてまつることができたのです。これは一期一会の最大のチャンスであります。このチャンスを逃がすことなく、悪業の因縁を断ち切り、善業(ぜんごう)の「因」を植えたいものです。

はじめに申しましたように、善い因は善い果を受けることができます。久遠本仏の救済の力は、私たちの強盛(ごうじょう)な信心で、必ずそれを成就することが出来るものであります。正しい信仰で真の幸福・平和・平等がみ仏さまより与えられるものです。


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