ミニ法話

「はぐくむ」

記事:布教師 橋本久賢

 私は毎日庭を眺めるようになった。毎日眺めると一日一日景色が違うことに気づく。 あんな所に花が咲いていたかな、今までなかった花が咲いている。どっから花の種が飛んできたのだろう。 知らぬ間に種が飛んできて、いつの間にか 土から栄養をもらい、根をはり芽が出て、そして気がつけば綺麗な花が咲いている。 恐らく幾多の自然の困難を乗り越えて、一握りの種がここまで綺麗な花を咲かせてきたのだろう。

 私たちの心にも種がある。 誰もが生まれながらに不幸になりたいとは思わない。誰もが幸せになりないと思う。 自分は大丈夫だろう、と思って生きている。その中で予期せぬ困難にぶつかると“まさか自分が”と思い止まってしまう。 どうにも乗り越えることができない壁が目の前に現れる。人は困難という壁を乗り越える力 が生まれながらに備わってはいない。 ただ乗り越える力の種は持っている。 その種を育むには、自然の困難を乗り越える花のように風に吹かれ、雨水に流され、大地にたどり着き、土から自然の栄養をもらい、日の光、水をもらいながら育ち、様々な困難に巡りあいながらも綺麗な花を咲かせる。

 私たち も人生の不安や悲しみ、悩み、喜び、感情を右往左往し経験することが肥やしとなる。 更に人には考える力があり、その考え方は仏様の教えを基本にしなければならない 。 仏様の教えとは、まさに人生の困難を乗り越えられるように、と今を生きる私たちの教えである。 仏教を学び、日常生活の中で教えを実践することにより、自らの日頃の行いを改めて見つめ直し、お釈迦様の大慈悲にふれることにより、更なる心の種の肥やしとなり、その種がはぐくまれて、人生の困難を乗り越えることができる綺麗な花が育つのである。

 さて、日蓮大聖人は『開目抄』において次のようなお言葉をお示しになられています。

 「諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」

 色々な困難に見舞われても南無妙法蓮華経の教えを信じれば必ず救われ、心が安らぎを得られます。お寺に行き、教えを学び、実践し心の種を私たちと一緒にはぐくんで頂きたいです。

 そして「うずたかく花を集めて多くのはなかざりをつくるように、人として生まれまた死ぬべきであるならば、多くの善いことをなせ(『法句経〈ダンマパダ〉』)」

 心の花を集めて色鮮やかな花飾りを作れるように、この世に生まれてきたのだから最後まで美しい花を咲かせることができる種をたくさん残していきましょう。 未来ある子供たちのために種を残し、蒔いていく、つまり教えを伝えていくことが大切であります。

南無妙法蓮華経

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