ミニ法話

「苦楽共に」

記事:布教師 寺田 良健

 『涅槃経』という経典に、つぎのような教えが説かれています。

 ある所に男性が一人で暮らしていました。彼は自身の暮らしが貧しいと感じていて、今よりも裕福 にな る事を日々願って暮らしていました。

 そんなある日、大変うるわしい女性が彼の家を尋ねてきます。 この女性は「私は功徳天という女神です。私の行く所にはあらゆる幸福が訪れます。どうかこの家に住まわせて下さい。」と言いました。 これを聞いた男性は、喜んでこの功徳天を家に招き入れようとしました。 ところが、功徳天は「私には妹がおりまして、その妹と離れて暮らすことは出来ません。 どうか妹も共に暮らすことを許して下さい。」と言い、妹を紹介しました。

 男性 は紹介された妹を見て驚きました。その妹は、功徳天とは正反対の姿をしていたからです。さらにその妹は、「私の名前は暗黒天と申します。私の行くところにはあらゆる不幸が訪れます。」と言いました。 これを聞いた男性は、不幸が訪れては困ると、この暗黒天だけを家から追い出そうとしました。すると、姉の功徳天は「私たち姉妹は二人で一人。別々に暮らすことは出来ません。 共に受け入れるか、共に追い出すかを選んでください。」と言うのです。男性は困り果てた末に、2人とも追い出してしまいました。

 さてこの教えに登場する姉妹は、人生における「苦」と「楽」を表しています。姉妹が離れて暮らすことが出来ないように、人生の苦楽も二つで一つです。一枚の紙の表と裏が一体のように、苦を避けて楽のみを得ることは出来ません。 こうした教えが、前に挙げたお経から窺えます。

 素晴らしい人との出会いや、素晴らしい財産などの物を得た時程、それらを失う時のつらさは大きくなります。人生は、大きな楽しみには大きな苦があり、小さな楽しみには小さな苦が常に寄り添っていています。 決して苦楽を分けることは、出来ないのです。

 それでは、楽のみを得る事が出来ない我々にとって、本当の幸福とはどのような生き方をすることなのでしょうか?

日蓮大聖人は御妙判の中で、
 「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思合て、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや。(苦に会えば苦を悟り、楽が来れば楽だと理解し、苦と楽を互いにひき合わせて、南無妙法蓮華経とお唱えなさい。これこそまさに自受法楽[悟りの悦びに浸ること]というのです。)」
と仰せられています。

 このお言葉は、大聖人の篤信者である四条金吾が同僚からの迫害に見舞われ、苦しみに立たされているとき送られたお手紙の一節です。

 この大聖人のお言葉を尋ねますと、苦や楽の経験を悟りと転じて、共に受け入れて感謝の心でお題目を唱える時、本当の安らぎに溢れた心を得る事が出来る、という信仰者の生き方が示されているように思えます。

 冒頭の男性は苦楽共に家から追い出す道を選んでしまいました。これは苦楽ある人生そのものから眼を背け、ひとりぼっちで生きていくことを意味します。

 日蓮大聖人は、苦楽ある人生から眼を背けるのではなく、人生の苦によって、自らの生き方を見つめ直しては悟り、楽にあっては、より多くの人々と分かち合う大切さを悟り、そのように、御仏・お題目の教えと共に歩んで行きなさい。と、仏の道を示して下さっているのです。

南無妙法蓮華経

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