ミニ法話

「相談事」

記事:布教師 駒野勝俊

 最近お檀家さんから、つぎの様な相談事を受ける機会が増えてきています。

「 私は嫁に来ました。そのため、私の実家には跡継ぎが居なくなりました。しかも実家の宗旨は浄土真宗であるため、今後実家の御先祖様をご供養するときには、嫁ぎ先の宗旨のやり方でご供養をしても良いのでしょうか?」

 

 この質問の内容は、多くの皆様にも当てはまる可能性があるかと思います。私事になってしまいますが、私の実家は浄土真宗です。 仏縁があって出家し、法華宗の僧侶になりました。そのため、このお檀家さんが抱える相談事は、私自身にも当てはまる内容です。

 同じ宗旨であれば、気に掛かることはありませんが、こうした問題を抱えている方々は、少なくはないかと思います。

 そして、この問題に私自身が向き合った時、改めて信仰の有り難さを強く感じることになりました。そこで今回は、こうした問題と見つめ合いながら、私自身が改めて考えさせられた信仰の有り難さについて、お話しします。

 ところで、多 くの方々は、幼い時に御両親や祖父母が、お墓や仏壇で手を合わせる姿を見て、それを真似する事で宗教や仏様への信仰と出会ったのではないでしょうか。 その幼いながらも手を合わせる姿を目の当たりにしたことで、信仰への姿勢や習慣の大切さを実感したのではないでしょうか。こ うして、先師方一人ひとりが歩まれた信仰の軌跡をたどることで、子や子孫に信仰の大切さが受け継がれてきていることが、理解できるのです。

 さて、結婚をして嫁ぎ先の宗旨に適う御先祖への供養の仕方を学ぶことがあるでしょう。このことは、家の為でなく〈自分の歩む道〉であると考えることができます。 しかし、 宗旨が異なるなどといった様々な理由で問題に直面し思い煩うことを避けなければなりません。

 こ れをどうするべきか。私見ですが、先ほど申しました通りに〈信仰は自分の歩む道〉であると考えています。今現在信仰している宗旨(自分の指針となる教え)で供養するのが理想的ではないでしょうか。

 私 たちは、生まれた家が法華宗であったり、浄土真宗のお家であったり、キリスト教であったりと、偶然が重なることで神仏とのご縁を頂いています。 先述の檀家様のように結婚して嫁ぐことで新たなご縁に巡り会うこともあるでしょう。こうして、巡り会うことができた教えを信仰し、自分の歩む道を進む時、その教えが自分の生きる指針となれば、より良い生活を営むことができるに違いありません。

 そして、私たちは法華経に生かされていることを学び続けています。ですから、その指針となる教えは、法華経であり、お題目でなければなりません。

 日蓮大聖人の『観心本尊抄』に示されている御文章の一節には、
 「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまう。」
と、お題目を唱えることの大切さをお説きになられています。
 「 釈尊の因行果徳の二法」とは、お釈迦さまが長い時間をかけて行った修行(因行)と、その結果得られた功徳(果徳)のことを意味しています。
 「妙法蓮華経」の漢字五文字、すなわち「妙法五字」の中にこそ、お釈迦さまの功徳がすべて含まれており、「妙法五字」を「受持」すれば自然とお釈迦さまの功徳をすべて譲り受けることができるのです。
 つまり、お釈迦さまの功徳をすべて受け取るということは、お釈迦さまと同じ振る舞いができているということですから、「仏」になる、すなわち「成仏」できるということです。

 お檀家さんからの質問の答えは、お題目で供養を進めます。供養は気持ちのあらわれです。供養を施す本人が御先祖様を敬おうと思ったときに供養できる様寄り添い、歩む指針となるお寺でありたいと思います。

南無妙法蓮華経

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