東日本大震災から今年で10年目となりました。平成29年には本宗青年会主催で東日本大震災の七回忌法要が東北の地にて行われました。現地では様々な場所で法要を行ったのですが、そのひとつに津波によって多くの子ども達や先生方が被災された小学校がありました。その小学校の建物は津波の被害の大きさを物語るように大きく破損し、参加者も言葉を失うほどでした。ふと見ると、その校舎の壁には子供たちによって描かれたであろう可愛らしい絵と、ある言葉が大きな文字で書かれていました。
「世界が全体に幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない・・・・・」
法華経・日蓮大聖人の教えを強く信仰された東北出身の詩人・作家である宮沢賢治さんの言葉です。ボロボロになった壁に描かれたその美しい絵と言葉を見た瞬間、子供たちが元気に校庭を走り回る姿や、先生方が生き生きと授業をされる様子が脳裏に浮かび、気がつくと涙とお題目があふれ出ていました。
船に乗って海上法要をした時には海に流され、愛する人のもとに帰れなかった被災者の菩提を願って皆でお題目を唱えました。港に着くとご遺族と思われる地元の女性が出てきておられたのですが、そのかたの様々な思いの入り交じったお顔を拝見した時、安らかな日々と神仏のご加護があらんことを願い、お題目を唱えずにはいられませんでした。
そして、この慰霊法要が終わった時に、日蓮大聖人のお言葉が頭に浮かんだのです。
「国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん。汝須く一身の安堵を思わば、先ず四表の静謐を禱るべきものか。」(『立正安国論』)。
このお言葉は、戦争や天災、病気などの災害によって国や家を失えば、一体どこに逃れて安らかに過ごすことができるでしょうか。安らかでいたいと思うならばまず世の中全体の安穏を祈るべきものだという意味です。
鎌倉時代の日本では、災害によって飢饉や疫病が流行し、国外からの侵略に晒されていました。その時、日蓮大聖人は人の幸福を法華経の教えに見いだされ、お題目を布教されました。コロナ禍の今を生きる私たちも日蓮大聖人のように世の安穏を願い、お題目を共にお唱えしこの難局を乗り越えなければなりません。
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