「あなたは今、幸せですか」
こう質問されて皆さんは、どのようにお答えになりますか?
国民が世界で一番しあわせを感じているブータン王国という国があります。ブータンは、遠いヒマラヤのふもとにある小さな仏教国で「国民の97%が幸せ」と感じているそうです。ブータンの人達は、どんなに豊かに暮らしているのかなと想像しますが、ブータンは日本のように、決して豊かな暮らしではありません。国民1人当たりの年間平均所得が約125,000円と日本と随分違います。
BSの番組でブータンの特集をしており、拝見しました。車もまばらにしか走っておらず、そもそも国の中に信号もありません。スマホも持っていなければ、コンビニもマクドナルドもありません。おうちの中も少ない家具に必要なものだけある質素なおうちで、自分で作った野菜を売って、そのお金で物を買う自給自足の暮らしです。テレビの番組スタッフが泊めてもらったお宅の奥さんに「あなたは、本当にしあわせなんですか?」と尋ねていました。
奥さんは「今の暮らしに全く不満もなく感謝しています。これもみな仏様のおかげと、国王のおかげ、私たちは皆幸せだ」と朝の日差しの中、生き生きとした笑顔でテレビカメラに向かって話をしていたのを思い出します。ブータンの国民は皆、仏さま、国王を敬い、今の暮らしに心から感謝をし、いきいきと暮らしている。嘘ではなくて本当の姿です。ここに私たちは学ぶべきことがたくさんあるように思います。
癌で32歳の若さで亡くなった医師の井村和清先生が「あたりまえ」という詩を遺されています。
あたりまえ こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう。
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いていける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気をむねいっぱいに吸える
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失った人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ
井村先生は、癌が肺にも転移していると知った時、「覚悟はしていたものの、一瞬背中が凍りついた」そうです。井村先生は病院を出る時、歩けるところまで歩いていこうと決心して家までの道のりを歩きました。その日の夕暮れ、先生には不思議な光景が見えました。世の中がとても輝いて見えたそうです。
「スーパーに来る買い物客が輝いている。走りまわる子供たちが輝いている。
犬が、垂れはじめた稲穂が、雑草が、電柱が、小石までが輝いてみえるのです。
アパートへ戻って見た妻もまた、手を合わせたいほど尊くみえたのでした。」
これは決して特殊な状況下に置かれた人間のおかしな体験ではありません。
毎日暖かい食事を食べられることは、あたりまえのことではない。毎日、暖かい布団で安心して眠れることはあたりまえのことではない。お父さんやお母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、兄弟、家族がいる。毎日のことであたりまえすぎて、こんなに有難いことに私たちは気がついていませんが、これほど幸せなことがあるでしょうか。皆さんは見守ってくれる縁ある方々や家族をはじめ、何より仏さまの大きな支えによって生かされ、命をいただいて「今」を生きています。
いま、新型コロナウイルスの蔓延で、私たちからあたりまえだった普通の暮らしが無くなりました。学校や仕事に行き、友人や同僚と普通に話し、家族で団欒し、休みの日には買い物やお出かけをする。健康で安心なこと。そんな「あたりまえ」が消えました。
高祖日蓮聖人『種種御振舞御書』に、
「日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信、法師には良観・道隆・道阿弥陀仏、平左衛門尉・守殿ましまさずんば、争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ。」
日蓮聖人は「いま日蓮が仏になる第一の味方は、この日蓮を亡きものとしようとした東条景信、良観・道隆・道阿弥陀仏、そして平左衛門尉頼綱・北条時宗で、もしこれらの人々がいなければ、到底、法華経の行者となることはできなかったであろうと悦び感謝している。」と仰せです。
私は「逆境は先生であり、こんな時こそ多くのことを学び、気付かせてくれるのだ」と、そう仰せになられているように思います。まさにそう思える心こそ「生きる意味」においてとても大切なことだと、この病気を通じて気づかせてくれました。あたりまえが、どれほどありがたいことか、いつも心に留めて、今こそお題目を共にお唱えし、この疫病難を乗り越えて参りたいと思います。
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