いよいよ、これから本門のご説法となります。「涌出品」の前半部、「汝等自ら当に、是れに因りて聞くことを得べし。」までが本門の序分で、その次から正宗分に入ります。当品では、前品に引き続いて、宝塔の周囲に居た無数の菩薩達が、大衆の中で起立合掌して釈尊を礼拝し、「世尊、もし私達に仏の滅後、この娑婆世界に於て法華経を護持・読誦・書写・供養することをお許し頂けるなら、大衆のために法華経を弘通致したく思います。」と申し上げると、釈尊は迹化の菩薩では、娑婆世界で法華経を弘通する資格の無いことを予めご承知ですから、「止みね善男子、汝等がこの経を護持せんことを須(もちい)じ。」とのことばで、それを制されます。そして、「この娑婆世界には、法華経を弘通すべき本化の菩薩が無数におり、それぞれがまた無数の眷属を連れて待機している。」と申されます。すると、忽ち娑婆世界の三千大千の国土が震裂し、仏と同じく三十二相を具え、身体から光を放つ立派な相好をした無数の本化の菩薩達が、同時に大地より涌出しましたので、当品を「従地涌出品」と申します。
これらの菩薩達は、皆七宝荘厳の宝塔を繞(めぐ)って、釈迦・多宝の二仏を恭しく合掌礼拝しました。この地涌の菩薩達の中に四人の導師があり、その一を上行菩薩、二を無辺行菩薩、三を浄行菩薩、四を安立行菩薩と申し、この方々が本化の四菩薩です。この四菩薩は、本化地涌の諸大菩薩の上首唱導の師であります。共に合掌して釈迦牟尼仏を拝し、親しくご挨拶を交されました。この有様を見ていた弥勒菩薩は、他の迹化の菩薩達の心を代表して釈尊に尋ねます。「私達は未だ曽ってこのような尊い相好をした、高貴な菩薩達を見たことがありません。この菩薩達はどこから来られ、どういう理由で此処に集られたのですか。この菩薩達は、どのようなお経を受持して仏道を修業されたのでしょうか。また、この菩薩達を教化された師は、どこのどなたでしょうか。」この弥勒菩薩の問いかけで本門の序分が終り、それに対する釈尊のお答えからが、本門の正宗分となります。
本門の正宗分は、釈尊と弥勒菩薩の問答形式によって進められますが、「涌出品」の後半「爾の時に釈迦牟尼仏、弥勒菩薩に告げたまはく」より、次の「如来寿量品」を中心として「分別功徳品」の前半、十九行の偈「以て無上の心を助く」までが本門の正宗分で、これを一品二半と呼び、法華経の最も重要な教義であります。
前述の弥勒菩薩の問いに対して、釈尊がお答えになる法門が如何に重大であるかということは、「汝等一心に精進の鎧(よろい)を被(き)、堅固の意を発すべし。如来今、諸仏の智慧、諸仏の自在神通の力、諸仏の獅子奮迅の力、諸仏の威猛大勢の力を顕発し、宣示せんと欲す。」と申されたことばでも解ります。そして、「我れ今、実語を説く。汝等一心に信ぜよ。弥勒よ疑うことなかれ。この地涌の菩薩は、自分がこの娑婆世界に於て、久遠に成道してより以来、教化した弟子である。」と明言されたのであります。
その時、弥勒菩薩を初め迹化の菩薩達は、釈尊のおことばに疑惑を生じました。
――世尊が成道されてから、まだ四十年余りしか経っていないのに、何時の間にこのように無数の大菩薩達を教化なさったのだろうか。――
確かに信じ難いことであります。釈尊が太子の位を捨てて城を出られてから十二年の後、伽耶城の近くの菩提樹下に坐して覚りを得られ、それ以後今日まで、四十余年が過ぎたのみであります。喩えば、二十五歳の青年が百歳になる老人達を我が子と言い、老人達もまた青年を我が父と呼んだとしても、誰も信ずることはできません。迹化の菩薩達から見ると、この大菩薩達は志念堅固で、大神通力を持ち、忍辱心決定し、端正で威徳あり、どこから見ても立派な菩薩達でありました。この事をお経文は、「世間の法に染まざること蓮華の水に在るが如き人々」と表現しています。そして、「私達は世尊のおことばを信じて疑いませんが、行の浅い人や仏滅後の人々のために、納得のいくご説明をお願い致します。」と申し上げたところで「涌出品」は終り、それに対する釈尊のお答えは、次の「如来寿量品」に譲ります。
三十六歌仙の一人である赤染衛門は、
いかでかは 子よりも親の若からん 老いては若く なるにやあるらん
と「涌出品」のこころを詠んでいます。また定家の父で、同じく平安朝の歌人として有名な藤原俊成(一一一四~一二〇四)は、
池水の そこより出づる蓮葉の いかでにごりに 染まずなりけん
と「不染世間法・如蓮華在水」の文意を、みそひと文字にしています。
ところで、日蓮聖人が本化上行菩薩のご再誕であられることは周知の通りでありますが、既にお話しした中で、「迹化」と「本化」ということばが何度か出て参りましたので、このことについて簡単にご説明しておきましょう。
迹化の菩薩とは、本化の菩薩に対する語で、始成正覚の釈尊によって教化を受けた法華経迹門の菩薩、すなわち弥勒菩薩・文殊師利菩薩・普賢菩薩・観世音菩薩等のことです。本化の菩薩とは、久遠実成の本仏釈尊の、最初のお弟子となって教化を受けた根本実在の菩薩で、「涌出品」ご説法の会座に、初めて大地から涌現した高貴の大菩薩達のことであり、迹化と本化では天地雲泥の相違があります。
選子(せんし)内親王は六十二代村上天皇の第十皇女で、法華経のご信仰が篤かったことは『大鏡』に、賀茂祭の行列拝観の面々に対し「我等与衆生・皆共成仏道(化城喩品)」との御誓言を賜った由記述されていることからも、充分窺うことができます。また、紫式部に『源氏物語』を創作せしめられた偉勲のあるお方でもあります。ある時選子内親王は、上東門院(皇后)へ新奇の物語をご所望されたことがあり、皇后はこれを御父道長へご相談の上、紫式部に命じて、法華経の教理によせて長編の物語を創作せしめられたのが、『源氏物語』五十四帖であります。
紫式部は、上東門院彰子に仕えた才色兼備の貞淑な女性で、深い法華経信仰を基底とした、流麗な筆致になる『源氏物語』は、当時の宮廷生活・貴族社会を描いた世界最初の一大長編小説として、日本文学史上第一の傑たる評価は揺るぎ無いところであります。その紫式部には、
妙なりや 今日は五月の五日とて 五つの巻に あへる御法(みのり)も
と詠じた、大変有名な歌があります。これは、五月五日に宮中で法華経第五の巻が講じられた際、その席に侍って詠んだ歌であります。また、法華経のご信仰篤いことで知られる百十二代霊元天王は、
かず知らぬ 池のはちすの中になほ 四本の花や わきてことなる
と、「涌出品」のこころを御製されています。
日蓮聖人〝当身の大事〟と仰せられた『観心本尊抄』〔(定)七一五(縮)九四三(類)九八〕には、
「涌出品に云く。尓の時に他方の国土の諸の来れる、菩薩摩訶薩の八恆河沙の数に過ぎたる。大衆の中に於て起立し、合掌し礼を作して仏に白して言く。世尊若し我等に、仏の滅後に於て此の娑婆世界に在って、勤加精進して是の経典を護持し、読誦し書写し供養せんことを聴し玉はば、当に此の土に於て廣く之を説きたてまつるべし。尓時に仏、諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまはく、止みね善男子、汝等が此経を護持せんことを須(もちひ)じ云云。」
とご指南されています。
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