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連載《法華経は佛教の生命「仏種」である。》
―IT時代の宗教―第2章 第22話

掲載日 : 2011/12/21

妙法蓮華経勧持品第十三 (上)

法華経を末法に弘通できる人

 当品は迹門流通分の第三段に当り、法華経を此土と他土に流通することを勧めたお経内容であることから、「勧持品」と名付けられております。勧持とは、自分が持つだけでなく、他の人々に対して法華経の信仰を勧めるという意味です。
余りにも尊く有難い法華経の経力を眼の当りにした仏弟子達の中から、まず薬王菩薩や大楽説菩薩を初めとする、ニ万人に及ぶ迹化の菩薩達が、次のように決意を述べます。 「私達は世尊が亡くなられた後の世に於ても、法華経を受持し、読誦し、人々に説き広めることに尽力致します。後の世の衆生には、心が濁って上辺(うわべ)のみの信者が多く、真心から善根功徳を積む者は少ないでしょう。増上慢の心を持った邪智謗法の者が増え、この法華経を弘通する人に対して、危害を加えることもありましょう。けれども私達は、どのようなことにも耐え、法華経を説き広めるために身命を惜しみません。」 
続いて、五百人の阿羅漢、八千人の学・無学の者達も起立合掌し、娑婆以外の他の国への広宣流布を誓願します。
娑婆世界に法華経を弘通するためには、迫害多難の生活を覚悟せねばなりません。実際に、日蓮聖人を初めとする先師方が、身を以って体験しておられる通りであります。この時釈尊は、身命に及ぶ大法難に遭遇した時、迹化の菩薩達では到底それに堪えられないことを、既に見通しておられたのです。ですから、これら迹化の菩薩達に対しては、娑婆世界に於ける法華経の弘通という使命を、与えられなかったのであります。このことについては、本門の最初にある「涌出品」のところで、詳しく説明します。

 

末法に法華経の護持広宣を誓う人々

 その時座にあった摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)比丘尼は、その配下六千人の比丘尼とともに、成仏の記を受けたいと願っておりました。
次いで、耶輸陀羅(やしゅだら)比丘尼も、また同じく成仏の記を受けたいとお願いしました。摩訶波闍波提は、釈尊の生母摩耶(まや)の死後、釈尊を養育した大恩ある人で摩耶の妹に当り、名を憍曇弥(きょうどんみ)と申します。耶輸陀羅は釈尊出家前の妃で、羅ご羅(らごら)尊者の母であります。この二人の女性は、釈尊の成道後出家して比丘尼となり、仏弟子として法華経の信仰に入っていましたので、釈尊は摩訶波闍波提と六千人の比丘尼には、一切衆生喜見如来という仏記をお授けになり、耶輸陀羅には具足千万光相如来の仏記を授与されたのであります。比丘尼等は皆大いに歓喜し、ともに力を合せて他方の国土に於て、法華経の広宣流布の任に当りたいとの誓いを立てます。
更に釈尊は、他の八十万億の菩薩に対しても、この娑婆世界に於ける法華経の護持広宣を勧められました。そこでこれらの菩薩達も仏のみ意を覚り、仏前に進み合掌して、法華経の護持と広宣流布を誓います。この誓いの中に出てくるのが、有名な「我不愛身命・但惜無上道」ということばで、正に「勧持品」のエッセンスとも言うべきことばであります。

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