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連載《法華経は佛教の生命「仏種」である。》
―IT時代の宗教―第2章 第20話

掲載日 : 2011/10/23

妙法蓮華経提婆達多品第十二 (上)

法華経を信ずる人は幸せ

 当品を「提婆達多品」と申しますのは、前段が、提婆達多と釈尊を中心人物として説かれているからです。当品は迹門流通分の第二段で、前段では悪人提婆達多の成仏を記し、後段では畜身竜女の成仏を説いて、法華経の功徳力の大なることを証明されている、誠に有難いお経です。釈尊と、諸の菩薩・天人・四衆(出家と在家の男女)との間で、釈尊ご自身が妙法を求めるために、過去世に於いて難行苦行したこと、及び提婆と竜女の成仏の経緯について、問答の形式をとりながら、法華経の威大な経力を説き明かされています。
前段の内容を、かいつまんでご説明しましょう。
釈尊が過去世に、さる大国の王であった時のことです。王は常日頃より法を求めて六波羅蜜の行を怠らず、精進を累ねておりました。そして、ついにある時王位を太子に譲り、四方に向って次のごとく宣言しました。「誰か私のために、大乗の教えを説いてくれるものは居ないか。もしあれば、私は生涯その人に従って給仕となろう。」
その時、阿私仙人が現れて、「私は大乗経を持っている。妙法蓮華経という教えだ。もし私に従うならば、それをあなたのために説き示そう。」と申しました。王は仙人のことばを聞いて非常に喜び、直ちに仙人に従って、木の実を採り水を汲み、薪を拾い食事の用意をし、また、仙人が道中で疲れた体を休める時には、身を仙人の腰掛にしたり寝台にまでして、千年の長い間仕えました。そして、身心ともに怠けることはありませんでした。それは、心に妙法を求めていたからです。

そこで、釈尊はことばを改めて、「その時の国王というのは、今の私のことで、阿私仙人は今の提婆達多である。提婆達多が妙法を教え導いてくれたおかげで、仏になれたのであるから、提婆達多は私の善智識である。」と申され、提婆達多に天王如来の記別をお授けになりました。
更に釈尊は、「法華経は全ての人々が成仏できる有難いお経であるから、未来世に男でも女でも、この提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して疑惑の念を持たないならば、地獄・餓鬼・畜生のような三悪道に堕ちずに、十方の仏前に生れ、常にこの法華経を聴聞することができるであろう。」と申され、ここで前段は終わっています。
奈良時代の高僧として有名な行基は、

法華経を わが得しことは薪こり 菜つみ水くみ つかへてぞえし

と、当品のこころを詠んでいます。

 

法華経は男女平等を表明

次の後段は、釈尊が智積(ちしゃく)菩薩に対して、「文殊師利菩薩と共に、妙法の功徳について論説せよ。」と申されるところから始まり、文殊師利菩薩の登場の様子を、次のように描写してあります。

――文殊師利菩薩は、千枚の葉をもった車輪のように大きな蓮華に坐し、大海の娑竭羅(しゃから)竜宮から現れ出た。倶に来た菩薩達も宝の蓮華に坐し、虚空にとどまって霊鷲山に詣で、蓮華から降りて仏前に至り、釈迦・多宝二仏を礼拝し、智積菩薩の所に至る。――

 そこで智積菩薩は、文殊師利菩薩に尋ねます。「あなたが竜宮で教化された衆生の数は、どれ程でしょうか。」文殊師利菩薩は答えて、「その数は無量で、口で述べたり心で測る訳にはまいりません。しばらくお待ちくだされば、その内証拠が現れるでしょう。」と申されるや、忽ち無数の菩薩が蓮華に坐して海より涌出し、霊鷲山に詣でて虚空に止まりました。この菩薩は皆、文殊師利菩薩が法華経を説いて教化された方々です。
そこで智積菩薩は更に、「この法華経は、甚深微妙にして諸経中の珍宝でありますが、法華経の功徳によって、速やかに成仏した実例があるでしょうか。」と問い、文殊師利菩薩は答えて、次のように申されます。「あります。それは娑竭羅竜王の女(むすめ)で、年は八歳ですが智恵利根で、妙法を聴聞し、菩提心を発し、妙法によって成仏しました。」

それに対して智積菩薩は、「私が見た釈迦如来は、過去無量劫の長い間、難行苦行、菩薩行を修し、積功累徳して成仏されているのに、この竜女がしばらくの間に、正覚(悟り)を成じたと言われても信じられません。」と申される、そのことばの終わらないうちに、竜女が忽ち眼前に現れ、「釈尊は、深く十界の迷悟の有様を達観し、智恵の光明で普く十方世界を照らしておられます。そして、三十二相・八十種好をもって法身を荘厳されています。天上界の人、人間界の人々が、ともに仰ぎ奉るだけでなく、竜神も一切衆生も、ことごとく尊敬致しております。私は法華経によって、苦海に沈んでいる衆生を済度致しましょう。」と申しました。
そこで、舎利弗尊者が竜女に向かって、「汝は久しからずして、無上道(妙法)を得たと言ったが、これは信じ難い。何となれば、女身は穢れ多く法器では無い。どうして無上菩提(悟り)を成ずることができようか。仏道は遠い道で、永い間修行して後に成ずるものであり、女身には五障があり、どうして成仏ができようか。」と申します。その時に、竜女が三千大千世界と同じ価値のある宝珠を仏さまに献げますと、釈尊はこれをお受け取りになりました。すると忽ち竜女は男となり、宝蓮華に坐して正覚を成じ、法華経の功徳力を証明した、という内容であります。
古歌に、

澁柿の澁そのままの仏かな

とあるように、提婆達多の成仏は、どんな悪人でも、心を入れかえて法華経を信仰すれば、必ず成仏できることを表しています。
また、法華経以前の方便の諸経では、女人成仏の道が塞がれていましたが、法華経では、一花開いて天下の春を知るごとく、竜女の成仏によって、全女性が即身成仏できる証拠とするのであります。日蓮聖人は『開目鈔』〔(定)五八九 (縮)八〇四 (類)六五〕に、

「竜女が成仏此れ一人にはあらず、一切の女人の成仏をあらはす。法華已前の諸の小乗経には女人の成仏をゆるさず。……竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし」

と申されています。すなわち、提婆達多は心の成仏を表し、竜女の成仏は身体の成仏と、男女平等を表しています。法華経によって、男性だけでなく全女性も成仏できるという、幸せの道が開かれたのです。

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