釈尊は、「薬草喩品」に於ける「三草二木の喩え」によって、三乗方便の教えと一仏乗真実の法華経とを対比し、み仏の広大な慈悲と、法華経の功徳利益の大なることを説かれました。次いで当品では、法華経信仰の増進した、中根の摩訶迦葉(まかかしょう)・摩訶迦旃延(まかかせんねん)・摩訶目ケン連(まかもくけんれん)・慧命須菩提(えみょうしゅぼだい)の四大声聞のお弟子たちに、成仏の記をお授けになることを説かれています。故に「授記品」と申します。
「授記」とは、「仏記」を授けることで、例えば、大学院で修士課程や博士課程を了えた人に「学位記」が授与され、国家に功績のあった人に「勲記」が授けられるようなものです。釈尊は、方便の教えを捨てて、法華経の信者になった上根の舎利弗尊者(しゃりほつそんじゃ)を初め、中根の四大弟子一人一人に、別々に予め成仏を保証する「記」をお授けになる、予言的証明をされたので「授記」と呼ぶ訳です。
上根の舎利弗尊者は、「方便品」のご説法で諸法実相・一念三千という難しい哲学的、抽象的な理論が理解できて、仏弟子中最初に法華経の信者になりました。そして、「譬喩品」の初めに華光如来(けこうにょらい)の「仏記」を授けられ、次いで中根の摩訶迦葉等の四人に対して授記されます。法華経には、この「授記」が六回あります。
第一回は、今申し述べた「譬喩品」第三の初めにある、上根の舎利弗尊者に対する授記です。第二回は、当「授記品」第六で、中根の摩訶迦葉・摩訶目ケン連・摩訶迦旃延・慧命須菩提の四人に対する授記であります。第三回は、「五百弟子受記品」第八に於ける、中根の富楼那尊者(ふるなそんじゃ)・きょう陳如(きょうじんにょ)等の千二百人に対する授記です。第四回は、「授学無学人記品」第九に於ける、下根の阿難尊者(あなんそんじゃ)や羅ゴ羅尊者(らごらそんじゃ)等、二千人に対する授記であります。第五回は、「提婆達多品」第十二に於ける、悪人提婆達多と愚痴の竜女に対する授記、そして第六回は、「勧持品」第十三に於ける、きょう曇弥(きょうどんみ)と耶輸陀羅(やしゅだら)に対する授記であります。
法華経では、上・中・下の三根に分けて授記されています。これは、機根には利根と鈍根、そしてその中間の機根があるからです。教えを聞いて、即聞即証、直ちにその本意を会得することのできるのが利根、容易にその意味を会得することのできないのが鈍根、そしてその中間が中根でありますが、三根が共に妙法の功徳力で成仏する、という点では一致しております。
まず釈尊が法華経をお説きになり、次に、それを聞いた人々が妙法の有難く尊いことを領解し、第三に、人々が妙法を領解したことを釈尊がお認めになり、第四に、人々が妙法を信解したことを釈尊が認証されて、授記となるのであります。この四つの段階を一巡りしたことを、一周と申します。舎利弗尊者の場合は、第一周、すなわち釈尊が「方便品」に於いて、諸法実相・一念三千の妙法という高度なご説法をされたのを、聞いただけで信解し、法華経の信仰に入りました。釈尊は、直ちにこれをお認めになり、授記されたのであります。これを法説周(ほっせっしゅう)と申します。
次に、迦葉尊者等の場合は、第二周譬説周と言います。この中根の人々は、「方便品」の理論的な説法を聞いただけでは妙法の尊く有難いことを理解できず、「譬喩品」の「三界火宅の喩え」を聞いて、ようやく法華経の信仰に入りました。それを釈尊がお認めになり、この「授記品」に於いて授記されることになります。
下根の、富楼那尊者とか阿難尊者等は、譬説周でも、まだ妙法を領解することができませんでしたので、次の「化城喩品」に於ける、大通智勝仏の過去の因縁の物語を聞き、初めて広大な[み仏]の意と妙法の尊く有難いことを理解し、ようやく法華経の信仰に入ります。これを第三周因縁説周と申します。以上が法華経の三周説法と呼ばれるもので、大変有名であります。
三周説法を品別しますと、「方便品」は法説周で、「譬喩品」・「信解品」・「薬草喩品」・「授記品」の四品は譬説周であります。後ほどご説明致します、「化城喩品」・「五百弟子受記品」・「授学無学人記品」の三品は、因縁説周ということになります。
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