序品(じょほん)は、法華経二十八品の序説ですから「序品」と呼びます。「品(ほん)」とは「章」というような意味ですが、「章」よりは高い香りがあり、有難い響きをもっていますので、羅什三蔵(らじゅうさんぞう)は「品」と訳したのです。「章」では、松茸から香りを抜いたようなものであります。法華経は、方便の諸経と比べると教理が深遠高尚で、哲学的にも宗教的にも、多面に亘(わた)る高度な内容を有しております。しかも、雄大な構想のもとに極めて組織的に述べられており、文学的にも優れた譬喩(ひゆ)や因縁の物語によって、全仏教経典の経王として君臨し、大乗仏教文学の特色を遺憾なく発揮した、大変尊く有難い経典であります。日蓮聖人は『題目弥陀名号勝劣事』〔(定)三〇〇(縮)四九二(類)一五〇九〕に、
「妙法蓮華経と申す事は、仏の御年七十二。成道より已来四十二年と申せしに、霊山にましまして無量義処三昧(むりょうぎしょさんまい)に入給し時、文殊弥勒の問答に過去の日月燈明仏の例(ためし)を引て、我見燈明仏乃至欲説法華経と先例を引たりし時こそ、南閻浮提の衆生は法華経の御名をば聞き初めたりしか。……妙法蓮華経は能開也。南無阿弥陀仏は所開也。」
と申されています。十九出家・三十成道(じょうどう)の釈尊は、四十二年の長い間方便のお経を説かれ、最後の八年間に、出世の本懐として法華経をお説きになりました。その直前に無量義処三昧にお入りになり、「此土の六瑞」・「他土の六瑞」を現じられ、この六瑞についての文殊師利(もんじゅしり)菩薩と弥勒(みろく)菩薩の問答を経て、いよいよ大乗仏教の真髄たる、法華経ご説法の舞台の幕が開かれたのであります。
『妙法蓮華経』を詠じ給える御製 |
七十七代 後白河天皇 |
法華経の たきぎのうへにふる雪は 摩訶曼陀羅の 花とこそみれ |
八十二代 後鳥羽天皇 |
いたづらに 漏るゝくさ木も無かりけり 一味の雨の 所わかねば |
百二代 後花園天皇 |
みな人の 心の闇を照らせとや 法の言葉の 玉に見ゆらむ |
百四代 後柏原天皇 |
まづ散るや 法のむしろの花のひも 空にもよほす よものはる風 |
同 |
へだてなく ほとけの道のともし火の もとの光を また照すらん |
同 |
鹿の苑 わしの深山のそのこゑも 聞くといひけん 我にのこして |
同 |
頼もしな をしへのまゝに我聞くと いへば又きく 法にあふ身は |
同 |
頼もしな 説き置く御法我聞くと いへば又きく 世にもあひつつ |
百八代 後水尾天皇 |
いちじるし 妙なる法に逢坂の せきのあなたを てらすひかりは |
<註> |
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