羅什(らじゅう)詔(みことのり)を奉じて「妙法蓮華経」を訳す
前述したように、仏教の生命である法華経の梵本は、前後六回も飜訳されていますが、皇帝の外護によって飜訳したのは、羅什三蔵(らじゅうさんぞう)のみです。
羅什三蔵は天性非凡、聡明博識にして文殊の化身(もんじゅのけしん)と称されました。かつて師の須梨耶蘇摩(しゅりやそま)から、法華経をインドより東北の国に弘通するよう、摩頂付属(まちょうふぞく)を受けました。
少年時代から、諸国を歴訪してあらゆる言語を身につけていた羅什は折からの戦乱のため、涼州(りょうしゅう)で十八年も滞留している間に、漢語にもすっかり精通していました。その上、梵本も携えていたので、国王の外護と相まって、仏意を得た完全な飜訳が出来たのです。
羅什の飜訳技量は天下無双で、法華経飜訳のため筆を執った際には、筆端から光りを放ったと伝えられています。
羅什の飜訳した経論九十八部四百二十五巻の内「妙法蓮華経」は弘始(こうし)七年から八年の間に飜訳されており、「法華飜経後記」には「鳩摩羅什、長安の大寺の草堂の中に於いて、生・肇・融・叡等八百余人、四方の義学英秀二千余人と共に、再びその経を訳し衆と詳究す。」と記録されています。
羅什の法華経飜訳は国家的大事業として行われ、姚興(ようこう)皇帝は百官と共に訳場に臨んで、自ら筆受の労を執られています。飜訳に当たっては、羅什自ら梵本を執って漢語に翻訳したのですが、姚興皇帝は旧訳の法華経と検校しつつ、文義共に通達したと言われています。
このように、法華経は大乗仏教の真髄であり、生命であるが故に、国を挙げて飜訳されたのであります。まさしく、訳経史上空前絶後のハイライトであったと言えましょう。
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