この世に生を受けた私たちは、誰もが願うことは何でしょうか。よほど過激なことを考えないかぎりは、ただただ「幸せに生きたい」と考えるはずです。
・いつも平和で安全で生きたい。
・いつも楽しく生きたい。
・いつも自身の思う通りに生きたい。
・いつもきれい清潔な環境で生きたいと。
ですが、現実はどうでしょうか?
・平和どころか、争い事が尽きないのでは。国と国、人と人、自分の心と他人。
・楽しい時もあるが、そうでないことの方が多いのでは。
・自分の思い通りにいくことなど、そうそう無いのでは。
・きれい清潔な環境というものは簡単に手に入らないのでは。
「幸せに生きたい」これは人の本能です。この本能のまま生きると、苦しみや辛さしか得られないのです。なぜなら、人は自分一人で生きていない、生きていけないからです。自分一人だけが幸せに生きることなど、誰にもできないのです。私たちは、誰かの、また社会の影響をうけて生きているのです。
しかし、この本能のおかげで生活が安穏に過ごせることも多々あります。例えば、楽しく生きるためには、病気になっては難しくなります。そう考えた私たちの先祖は、多くの犠牲を払って、医学を今日の素晴らしいレベルまで引き上げてきました。このように、本能で感じ得られる様々なことが、私たちの生活を助け、豊かなものにもしてきました。すべて、自身だけではなく、社会のためにです。
『私だけの幸せ』だけを願うのではなく、ご家族はもちろんですが、近所のかたの幸せ、日ごろ出会うかたの幸せ、社会の幸せを願って生きてみてはどうでしょうか?
・私がしたことで〇〇さんが喜んでくれた。
・私がしたことで、日ごろ反りが合わないかたに、笑顔で話ができた。
・私が道端のゴミを拾ったら、気持ちが良かった。
など、他の人の喜びや幸せが、必ず私を幸せに生かしてくれます。多くの人たちがこのように考え振舞えば、苦しみや辛さは少なくなり、幸せに生きることができます。このように考え振舞うことを『仏の振舞い』菩薩行と言います。また、南無妙法蓮華経のお題目を身体・口・心で信じ唱えることとなるのです。
『幸せ』をはかるための物差しは、人それぞれ違います。お題目を信じ唱えることのできる人は、どのような環境にあっても、必ず仏様のように光り輝いています。その姿を『成仏』と言います。この事に気づいて、「幸せに生きたい」を叶えて参りましょう。
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