仏教が他の宗教と大きく違っている点は、三世と因果が説かれている点です。 仏教は命ある者は必ず生まれ変るとされています。
三世とは、過去世、現在世、未来世です。因果とは、必ず結果には原因があり、「偶然」ということはなく、全ての事象は「必然」で起るというのです。『心地観経』には、「過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、その現在の因を見よ」と説かれています。つまり、今の自分を見れば、過去どのような行いをしてきたかがわかり、未来どのようになるかを知りたければ、今の自分を見ればわかるということです。
私達は毎日何かを思い、何かを話し、何かを行っています。これを、業(ごう)といい、身の振舞いを身業(しんごう)といい、言葉を口業(くごう)といい、心のあり方を意業(いごう)といいます。この三つを合わせて身・口・意(しんくい)の三業(さんごう)といいます。
現在の善き行いは善業となり、悪しき行いは悪業となります。命を終えた時に業は定業(じょうごう)となり、次の世に、その業に応じた所に生まれ変ります。その業は自ら積んだ業であるので、自業(じごう)といい、その報いは自得(じとく)となるのです。
自らの身体に起るトラブルや、家庭や職場、学校などの環境からのトラブルも、すべてには因果があるのです。現世の果を見れば、過去世の因がわかり、また、現世の業が因となり、未来世の果を生むのです。つまり、現世の中で過去世の罪を知り、現世の内にその罪を滅することが出来れば、来世は良きところに良き状態で生まれるのです。
現世において良き業を積むということは、心には「相手を敬い」身には「合掌礼拝」口には「お題目」と唱え、法華経の信仰を勧めることです。
「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬しはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ。」
と仰せであります。不軽菩薩はその修行を成した後に仏になったとあり、私達も、その行規に従うことによって過去の悪業を断ち切ることができるのです。 故に、それを成せる今が一番大事なのです。
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