ミニ法話

「微笑み」

記事:布教師 林 勝信

 大乗仏教の聖典の一つである『瑜伽論(ゆがろん)』に菩薩の表情の描写があるそうです。それには「常に微笑みを忘れず、顔をしかめず、すべてのものを平等に視て、眉間に皺をよせるようなことはない」と書かれています。
菩薩は、心の修行をされた最後に相好(そうごう~姿・形)の修行をされます。人に向かって法を説く者は、眉間に皺などよせてはいけない。美しい微笑みを絶やさず、晴れ晴れとした顔をしていると良いとの教えです。

 『雑宝蔵経』に「無財の七施」が説かれています。その中の一つに「和顔施」というのがあります。手元に何一つ役立たせる財貨などが無くても、只ニッコリと微笑むだけで、周囲の方々を明るく、楽しくさせる事が出来ます。それが何より大切なことです。内なるものが整ってくると、自然と姿・形も整ってくるものですが、内が整わなくても姿・形を良くする努力をしていると、内側も自ずと整ってくるものです。絶えず微笑む努力をすることによって、心も自然と温かくなってくるものです。

 楽しいときに微笑むのは簡単ですが、苦しいとき、辛いときに微笑むことはなかなか容易なことではありません。しかし、楽しいこともなく、嬉しくもないときでも、口角をあげて笑うことにより、何故かしら不思議と楽しくなってくるものです。いや、何か知らないが楽しくなってくるような気がします。「楽しいから笑う」のではなく、「笑うから楽しくなる」のだと思います。このような考え方や感じ方をもつということはとても大切なことです。「幸せ感じ上手」になろうではありませんか。

 昨年は、経済の低迷に加え地震や津波、台風などによる災難を受け日本中が大きな悲しみを受け、失望して多くの方々が笑顔を失ってしまいました。頑張ろう日本、立ち上がろう日本と、世界中の人たちも応援してくれております。一日も早く笑顔を取り戻して、助け合い、支え合い幸せを取り戻さなければなりません。

 特に私たち法華経を信奉する者にとって、この笑顔をもって生活をする上で最も大切なことは、悲しいにつけ嬉しいにつけ、常に御題目の支えがあるんだという強い信心です。何があっても、どんなことがおきても、御題目が唱えられるということが自然と身についていなければならないと思うのです。「南無妙法蓮華経」と自然と口に出てくる。常に「御題目」に支えられていると感謝の心を持ち、唱えることが出来るようになることがとても大切なのです。

 一心に御題目を唱える事が出来るようになれば、自然に御仏様の御慈悲を受け、その因果の功徳を譲り与えられ、生きる上で「生かされている」という幸せを感じることができ、生きる喜びを感じられることが、生きる励みとなるのです。それができるようになれば、その幸福な思いを他の人へと回し向けることができ得るのではないでしょうか。自分のためや家族のための御題目にとどまることなく、他のための「化他の御題目の実践」「唱題行」を行うことにより、尊い菩薩の行いが出来るのではないでしょうか。さあ、今日から一緒にはじめようではありませんか。


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