「供養しなさい! 供養が大切です!」とよく言われます。『供養』って何でしょうか?・・・・・。
お経をあげてもらうこと? お供え物をすること? ローソクや線香を手向けること?・・・・・etc
「親孝行したい時に親はなし、されど墓に布団を掛けられもせず」という川柳があります。750年も前の日蓮大聖人も『刑部左衛門尉女房御返事』の中で同じことを言われております。「父母の重恩」と言われるこの御妙判をかいつまんで現代語に訳してみます。
「母のご恩は忘れられません。胎内9ヶ月もの間苦しみ続け、腹は太鼓のようになり、首からは針を下げたようになります。息も思うようにできなくなり、顔の色は枯れ草のようになります。横になれば腹がさけ、座れば身の置き場もないという思いで、お産が近づいてきます。
とうとう腰が破れ切れて、眼(まなこ)が抜けて天まで昇るかというほどの激痛に耐えて生み落とすのです。
母親というものは、わが身の苦しみはさておき、さっそくわが子を抱き上げて、血を洗い、不浄をすすぎます。わが胸に抱き続ける3ヶ年もの間、わが子に乳を与え続けます。ねんごろに養ってくれる母の乳の量は、180斛3升5合にもなります。
この乳の値(あたい)はたった1合でも、この娑婆世界に代わるものありません。他人のものは、たとえ銭1文、米1合でも盗めば牢屋に入ることになります。しかし、『親は十人の子を養(やしな)えども、子は一人の母も養うことなし』南無妙法蓮華経」
母親というものは、言葉では表現できないほどの激痛に耐え、お産をして、わが子を胸に抱き続け「可愛い」と言いながら乳を与えます。私たちはオッパイの味もオッパイを飲んだことすらも覚えていません。いま振り返ってみると、両親からは、もらえる物は全てもらって、一人前に育ててもらったことに気づきます。
自分も結婚し、子育てに明け暮れて、自分の役目が終わりかけた頃、親孝行でもしようかと思うとき、親は死んで居ないのが常です。まさしく「親孝行したい時に親はなし」「子は、たった1人の母も養うことができない」のであります。
『養う』ということは、親孝行をすることです。両親に、暖かい布団で寝てもらうこと、好きな物を食べてもらうこと、好きな温泉に連れて行ってあげること等々。しかし、死んで居なくなれば、これも叶わぬことになります。
でも、差し上げることができないからといって、親孝行を諦めないでください。死んでしまった両親に対して、いま生きていればと思って、暖かい布団で寝て欲しい、好きな物を食べて欲しい、好きな温泉に連れて行ってあげたいという気持ちを、心から両親を養いたいという気持ちを持ってください。無き親のお位牌に、その気持ち(その心)をお供えしてください。『養う』という気持ち(心)を『お供え』し、お題目をお唱えすることが一番大切なことです。親孝行の心をお供えすること、『養う』『供え』、これが「供養」そのものあり、そのときのお題目こそが両親に届くのであります。
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