お釈迦様がご入滅後二千年も経つと、人々は尊い教えをすっかり忘れてしまって、心の乱れた時代(末法)が到来します。お釈迦様は、この末法に「法華経を弘めよ」と命ずると同時に、法華経を弘める時には必ず三種類の敵が現れることも示されました。
三類の強敵 | 俗人の敵(俗衆増上慢) |
僧侶の敵(道門増上慢) | |
高僧の敵(僭聖増上慢) |
と、勧持品に説かれていますが、もとより覚悟の上であった日蓮大聖人の身にいろいろな迫害がふりかかりました。法華経には「この恐怖悪世のなかに於て、我等当に広く説くべし。諸の無智の人、悪口罵詈等し、及び刀杖を加ふる者あらん。我等当に忍ぶべし。数々擯出せられ塔寺を遠離せん」とあります。
日蓮大聖人は、身命を惜しまず、法華経を弘めるために、このお経文のごとく、寺を焼かれ追い出された松葉谷のご法難、伊豆と佐渡の流罪、また刀や杖の難は小松原のご法難そして龍口のご法難でありました。お釈迦様の金言は本当でありました。日蓮大聖人以外、高僧と言われた方でもこのようなご法難に遭われたことはありません。日蓮大聖人ただ一人が法華経を色読(身口意で読む)されたのであります。
日蓮大聖人は龍口のご法難で一命を取り留めたものの、その直後、佐渡へ流罪となりました。佐渡での生活は筆舌に尽くし難いほど厳しいものでありました。このご苦労のお陰で、今、私達は、ご宝前で、お仏壇の前で何の迫害もなくお題目を唱えることが出来るのであります。
このことに感謝し、日蓮大聖人のご恩に報いるために、声高々にお題目を心から唱えて、自分自身が仏にならなければなりません。法華経の目的は、即身成仏(この身を持って仏に成ること)であります。寿量品の自我偈にありますように、「毎に自ら是の念をなす。何を以ってか衆生をして無上道に入ることを得て、速に仏身を成就せしめん」と説かれている通りであります。
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