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連載《法華経は佛教の生命「仏種」である。》
―IT時代の宗教―第2章 第42話

掲載日 : 2020/1/9

妙法蓮華経陀羅尼品第二十六(下)

唱題成仏論の本拠


 以上「陀羅尼品」のあらましをお話ししましたが、最初に申しましたように「陀羅尼」とは楚語で、「総持」と漢訳されています。これは一語にして沢山の意味を含んでいる語のことで、例えば「法華」と言えば、この法華経の中に説かれている内容の全体を意味し、法華経の哲学的意味も、文学的・宗教的・倫理的・道徳的意味も、法華経の功徳も全て含んでいます。

 当品の終りのところに「法華のみ名(みな)を受持せん者、福量(はか)るべからず。」とある一文を、日蓮聖人は「法華経のみ名(みな)」すなわち、お題日を唱えるだけで成仏できるという、唱題成仏論の本拠と申されています。『法華初心成仏鈔』〔(定)一四三二(縮)一六九〇(類)三四二〕に、  
「経に日く、仏諸の羅刹女に告玉はく。善哉善哉、汝等但能く、法華のみ名を受持する者を擁護せん、福量るべからずと云云。此文の意は、十羅刹の法華の名を持つ人を護らんと誓言を立て給を、大覚世尊讃めて言(のたまわ)く、善哉善哉、汝等(なんだち)南無妙法蓮華経と受け持たん人を守らん功徳、いくら程とも計りがたく、めでたき功徳也。神妙也と仰せられたる文也。是我等衆生の行住坐臥に、南無妙法蓮華経と唱ふべしと云ふ文也。」
と、ご指南されていますように、寿量本仏釈尊の金言通り「如来寿量品」のお題日を唱える者を、鬼子母神・十羅刹女は守護されるのであります。

後水尾天皇と大江匡房の法華信仰及び『本朝文粹』

 百八代後水尾天皇は法華経のご信仰篤いお方で、具足山立本寺第二十代日審上人に帰依され、上人から法華経を聴聞し、寺内に「園林堂」を建立されました。四海唱導の妙顕寺へは菊花御紋章の幔幕、同じく菊花御紋章入りの提灯等を下賜され、妙覚寺第二十五世日延上人を召して、法華経を聴聞されています。また洛北松ヶ崎妙泉寺へは皇后と行幸され、題目踊りを天覧になっています。

 本隆寺へは天皇ご愛用の雅楽器、横笛(おうてき)・篳篥(ひちりき)・笙(しょう)をご下賜になっていますが、現在も寺宝として伝えられています。

 後水尾天皇が法華経をお詠みになった御製十五首の内、「陀羅尼品」については次の一首があります。
   仰げただ 八州のほかも浪風の うれへなしてふ 法のまことを

 正二位権中納言大江匡房(おおえのまさふさ)(一〇四一~一一一一)は古今の典籍に通じ、詩歌に勝れ、有職故実(ゆうそくこじつ)や兵法にも通じており、『江談抄(ごうだんしょう)』六巻は、匡房が故実を語り詩文を論じた談話です。

 匡房は熱心な法華経信者で、一夜の内に法華経八巻を暗誦したということが、『十訓(じっきん)抄』三巻に見えています。『十訓抄』は作者不詳ですが、成立は建長四年(一二五二)で、日蓮聖人が立教開宗される前年に当り、年少子弟のため、和漢古今の説話二百八十二項を十目に分類し、各々に教訓的題日を挙げてその趣旨を説き、これに関する説話を記した書として有名です。

 匡房は、色紙に妙法蓮華経一部八巻と無量義経・観普賢経を書写し、別に妙法蓮華経八巻を六部と、開結二経を一巻づつ書写しています。

 更に『法華経賦』一首を作っています。「賦(ふ)」とは漢文の文体の一つで、対句をなして韻(いん)を踏むものです。

 「夫れ一大事之因縁、其の義遠き哉。機根遍く熟して法華方(まさ)に開き、六瑞の相忽ち至る。四種の花晴れて来り、三乗五乗彰る。一乗は之を隔てず。性有るも性無きも、……宝車を設けて朽宅より出す……開権顕(かいごんけん)実の日、忽ち法王を観る。……大通の結縁……中路の化処自ら現る……漏無漏(ろむろ)、皆正覚に至る。……宝塔に入って座に並ぶは、大城の門を開くに似たり。復た夫れ、仙人は昔の師なり。竜女は今何れの位ぞや。勧持の衆幾多なる。安薬の行……涌地住空、菩薩未だ示さず。況んや寿量測ること無し……随喜五千人に及ぶ。……六根の浄風は銅輪の隣に香る……神通を起して虚空を覆い、付属を宜べ……誓願は舟の如く、有為の浪を渡るべし。陀羅尼を説て、能く持ものを護る。荘厳王に寄せて玅(妙)相を示す。普賢は白象に乗って必ず臻(いたる)……。(原漢文)」(『本朝続文粹』巻一より抄出)
このように、法華経二十八品の大意を、簡明に述べています。

 『本朝文粹(ほんちょうもんずい)』十四巻は藤原明衡(あきひら)の編で、平安期嵯峨天皇から一条天皇に至る十五代間の優れた漢詩文を、中国の『文選(もんぜん)』と『文粹(もんずい)』の体裁に従って編集したものであり、『本朝続文粋』十三巻は、更に崇徳天皇に至る九代の優れた漢詩文を編集したものです。

 なお、大本山中山法華経寺では日蓮聖人七百遠忌記念事業の一環として、日蓮聖人遺文など七十数点の修復作業を、千葉県佐倉市の国立歴史博物館で行ないました。その際、日蓮聖人直筆の国宝『立正安国論』(三十六枚の楮(こうぞ)を継いだ巻物)の修理のため裏打ち紙を剝したところ、本紙の裏側に『本朝文粋』の内、仏事に関する名文を集めた部分が書写された後、わざわざすり消された跡があることが、調査に当った立正大学教授中尾堯(たかし)博士によって明らかにされています。

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