釈尊は十神力を現じ終って、上行菩薩に対し、仏の神力はこのように不可思議ではあるが、この神力を以ってしても法華経の功徳を説き尽すことは難しい、と申されて有名な四句の要法、すなわち「如来の一切所有の法・如来の一切自在の神力・如来の一切秘要の蔵・如来の一切甚深の事は、皆この経に於て宣示し顕説す。」とのことばで結ばれて、上行菩薩にご付嘱になります。法華経中、最大のハイライトとも言えるところであります。
この「付嘱」について本隆寺のご開山日真大和尚は、「人」は別付嘱であるが、「法」は総付嘱であると説明されています。要するに、全仏教を総括して上行菩薩にご付嘱になり、末法に法華経の弘通を依嘱されたのであります。仏勅を受けた上行菩薩は、末法に出現して「日蓮」と名乗られたのです。
法華経には、本化上行菩薩の御徳について「世間の法に染まざること、蓮華の水に在るが如し(従地涌出品)。」とあり、塔中別付嘱を蒙った上行菩薩は末法の世に現れて、「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人(日蓮聖人)世間に行じて(現れて)、能く衆生の闇を滅す(神力品)。」と説かれています。
この法華経の予言通り、本化上行菩薩の再誕として日蓮聖人は、鎌倉時代の日本にご降誕になり、「神力品」の「如日月光明」の「日」と、「涌出品」の「如蓮華在水」の「蓮」の二字を採って「日蓮」と名乗られたのです。
『四条金吾女房御書』[(定)四八四(縮)六七一(類)八四五]に、
「闇なれども燈入りぬれば明かなり。濁水にも、月入りぬればすめり。明かなる事、日月にすぎんや、浄き事、蓮華にまさるべきや。法華経は、日月と蓮華となり。故に、妙法蓮華経と名く。日蓮、又日月と蓮華との如くなり。」
と申されていることによって、明らかであります。
更に『寂日房御書』[(定)一六六九(縮)一八七三(類)六〇九]に、
「日蓮となのる事、自解仏乗(じげぶつじょう)とも云つべし。……経に云く。如日月光明・能除諸幽冥・斯人行世間・能滅衆生闇と、此文の心よくよく案じさせ給へ。斯人行世間の五つの文字は、上行菩薩、末法の始めの五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明を、さしいだし(指出)て、無明煩悩の闇をてらすべしと云ふ事也。日蓮此の上行菩薩の御使として、日本国の一切衆生に、法華経をうけたもてと勧めしは是也。」
と申されているように、釈尊から一切の法すなわち全仏教を塔中別付嘱された、上行菩薩の生れ変わりであられるが故に、全仏教の教理が掌を指すように理解できる訳であります。仏教史上に於て、お経文の予言、つまり仏勅によって現れた人は日蓮聖人のみです。
日蓮聖人が、建長五年の朝より弘安五年の夕べに至るまで、日月の光明のごとく“お題目の光”を掲げ、全人類の心の闇を滅すべく不惜身命で法華経を色読実践下さったお蔭で、私達は百千万劫にも会い難い法華経のお題目によって、唱題成仏の大果報が頂けるのです。誠に勿体なく、有難い極みであります。
日蓮聖人は『曽谷入道殿許御書』[(定)九〇二(縮)一一〇三(類)三〇七]に、
「大覚世尊、寿量品を演説し、然して後に十神力を示現して、四大菩薩に付属し玉ふ。其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも廣を捨てて略を取り、略を捨てて要を取る。所謂、妙法蓮華経の五字、名体宗用教の五重玄也。例せば、九苞淵の相馬の法には、玄黄を略して駿逸を取り、史陶林の講経の法には細科を捨てて元意を取るが如し。」
と申されています。
九苞淵(きゅうほうえん)中国春秋戦国時代の人で、秦(しん)の穆公(ぼくこう)のために天下の馬を鑑定した際、馬の毛色等にとらわれず駿馬を名馬と鑑定しました。史陶林(しとうりん)(支道林(しどうりん)のこと)は中国晋朝の学僧で、書聖と言われた王羲之(おうぎし)等の名士とも親交がありました。支道林は、宮廷に召されて晋王のためにお経を講じたのですが、その講経は章句にとらわれず、よく要点をつかみ達意的に説明されたものであったそうです。
選子内親王は、「神力品」の「如日月光明・能除諸幽冥」の文意によせて、
さやかなる 月の光の照らさずば 暗き道にや 一人行かまし
と詠じられています。
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