「寿量品」の肝要を一言で申すならば、寿量本仏の説かれた教法について言えば開権顕実(かいごんけんじつ)の法、仏身について申せば開迹顕本であります。すなわち、法と仏身の開顕統一によって、一切経が妙法となって蘇生するのであります。要するに、一切経の中では法華経、法華経の中では「寿量品」を唯一最高、絶対の権威ある経典と仰ぐのであります。『寿量品得意鈔』に、「寿量品無くしては一切経いたづらごとなるべし。」と申された宗祖の金言によって、日真大和尚は「唯寿量」とご指南されたのであります。一部八巻二十八品の法華経は、一切経の肝心であり、「寿量品」は法華経一部の〝生命(いのち)〟であります。
「寿量品」を要約したものが、五百十字の「自我偈」であります。この自我偈の一偈一句に、本仏釈尊の温かい毎自作是念の慈悲がこもり躍動しています。自我偈は二十八品の魂魄であります。
「三世」とは、過去・現在・未来を言います。「物」とは衆生のことで、「益物」とは衆生を教化して利益を与えることを言います。すなわち「三世益物」とは、寿量本仏釈尊が過去・現在・未来の三世に亘り、一切衆生を教化して仏道に入らしめられることです。この三世常住不滅の活動は、法華経「寿量品」にのみ説かれた法門であります。すなわち、寿量本仏釈尊による五百塵点劫の久遠本時より、大通智勝仏等による衆生教化を「過去益物」と言い、インドに出現して一代五十年説法教化された釈尊の活動を「現在益物」と申し、八十歳で非滅現滅を示されてより後、未来永劫に亘る常住不滅の化導を「未来益物」と申します。
本仏釈尊の三世益物は「常在霊鷲山」とあるごとく、常にこの娑婆世界に住して説法教化されるということで、「寿量品」の中心思想は三世常住の益物であり、縦に三世を貫き、横に十方世界に普遍して、全宇宙法界の衆生をお救い下さる有難い仏さまです。大日如来とか阿弥陀如来は娑婆の衆生とは無縁で、三世益物の徳は無く、ひとり「寿量品」の教主釈尊にのみ具わった仏徳であります。
しかし、縁無き衆生は度し難しですから、釈尊の因行果徳の具足した本門寿量のお題目、すなわち「本果実証のお題目」を、身・口・意に修行することが肝要であります。
九十代亀山天皇は法華経のご信仰が篤い方でありましたので、皇子である九十一代後宇多天皇も、やはり法華経を尊ばれ、弘安四年(一二八一)五月十万の元軍が筑紫へ来襲の時、後宇多天皇は勅使を伊勢大廟へ派遣され、六月二十三日より十日間、百僧を以って法華経一千部を石清水八幡宮に読誦せしめられました。また鎌倉幕府へも勅命があり、将軍惟康(これやす)親王は筑紫へ進発と決り、鎌倉幕府から甲州身延の日蓮聖人へも使者を遣わされたので、聖人は予言の的中と国恩に報ずべく、長さ六尺五寸、幅五尺五寸の「日・月の大曼荼羅」をご染筆になり、使者に授与されました。
総師宇都宮貞綱は、この大曼荼羅聖旗を奉じて博多湾頭に飜しました。忽ち、法華経と日蓮聖人のご法力、「如来寿量品」の〝如来秘密・神通之力〟の感応によって、七月台風となり敵艦悉く沈没し、十万の兵の内生きて帰ったものは僅か三人という、世界最大の奇蹟が現れました。(『法華鑽仰者外伝』六十八~六十九頁)
後宇多天皇は、中園入道前太政大臣公賢の母の十三回忌に「如来寿量品」を書写され、
はかなくて 消えにし秋の涙をも 玉とぞみがく はちす葉の露
との御製を霊前に供えられています。
また赤染衛門は、
ありながら 死ぬる気色は子の為に とめし薬を すかすなりけり
と、当品の「良医の是好良薬・今留在此」の経意を詠じています。
日蓮聖人は『法蓮鈔』〔(定)九四九(縮)一一六四(類)八三八〕に、
「自我偈の功徳は、唯仏与仏乃能究尽なるべし。夫法華経は一代聖教の骨髄なり。自我偈は二十八品のたましひなり。三世の諸仏は寿量品を命とし、十方の菩薩も自我偈を眼目とす。自我偈の功徳をば私に申すべからず。次ぎ下に分別功徳品に載せられたり。……今、法華経寿量品を持つ人は、諸仏の命を続く人也。」
とご指南されています。
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