モノの幸せとは、人によって千差万別であります。なぜなら、幸せをはかる定規が、個々によって違うからです。お金がもっと欲しい、もっと素敵な大きなお家に住みたい、もっと楽して暮らしたいなど。もっと、もっと、と個人の幸せは計り知れないのです。この欲望を満たされないと人は苦と感じるのです。
仏さまの教えの中に「四苦八苦」というものがあります。その中の一つに「求不得苦(ぐふとくく)>(求めても得る事が出来ない苦しみ)」があります。まさにこの苦しみです。だからと言って、この欲を捨てて生きる事は出来ません。ただ、この欲が叶う事もありません。
死なない生命、安楽な生活、自主自由、清浄で安穏な世界の四つ。死にたくない、苦労はしたくない、勝手気ままにしたい、汚れた危険なところにいたくない。人間は、誰にも教わらなくとも、自然にそのような希望を持つように生まれついているのです。
私たちは、このように苦しむために生まれてきたのでしょうか。そうではありません。南無妙法蓮華経とお唱えする私たちは、仏さまのお心に導かれ、この苦の満ちた世界で幸せに生きていかねばなりません。汚れた泥の中に咲く、美しい蓮の花のように。苦しみの多い毎日の生活の中で、心は安穏に、幸せに暮らさなければならないのです。
日蓮聖人は「蔵の財よりも身の財すぐれたり 身の財より心の財第一なり 此御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし」とお教えです。
個人の立場では全く叶えられない願いも、人類共同の立場に立てば、すべて叶えることができます。人は、一人では幸せになる事も生きていく事も出来ません。社会の中で家族の中で生かされているのです。
さあ、妙法蓮華経に手を合わせ、仏の教えに導かれ、心豊かに幸せにお題目を唱えて参りましょう。
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