ミニ法話

「佛の慈悲」

記事:布教師 櫛田 晃稜

 仏教の心は慈悲であります。慈悲とは慈しみ哀れむこと。私たちは命の誕生の瞬間から多くの慈悲に包まれて成長していきます。

 慈とは与楽・悲は抜苦。抜苦与楽とは苦を抜き楽を与えることで、仏様や菩薩様が私たち衆生の苦悩を除き福楽を与えてくださることです。

 私たちは常に生老病死の苦しみと向き合っています。生まれて生きることが苦、今の平均寿命は男性七十八歳・女性八十六歳と長命ですが、いかににこの命を生きるべきか。

 年老いていくことが苦、何事も若い時とは違い、体力の衰え・眼の衰え・耳の衰え・持続力の衰え・記憶力の衰え、自然に老いを知っていきます。 

 病気になることが苦、年齢に関わらず病気なります。早期発見と早期治療・末期症状でも現状維持で少しでも永く生きたいと願います。

 死を迎えることが苦、死の時は虚空を掴むともいい、断末の苦しみがあります。

 お釈迦様は『妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三』で、

 「この経は能く一切衆生を救ひたまふ者なり。この経は能く一切衆生をして諸の苦悩を離れしめたまふ。」

 と示されています。

 毎日の仕事や生活に追われている自分自身を見つめる時に、一体自分は何をどの様にしたらいいのかと考える時がありませんか。子育て・家庭・老後など、将来への不安を抱えている時だからこそ、しっかりとした目標を持って取り組んでみましょう。ここに信仰がプラスされることで自信と活力が沸いてきます。さらに、気持ちや心の中に信仰を通じて目標を持ちながら毎日の生活が送れます。

 日蓮大聖人は『諫暁八幡抄』の中で、

 「日蓮は去建長五年四月二十八日より、今弘安三年十二月にいたるまで二十八年が間、又他事なし。只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入とはげむ計り也。此即母の赤子の口に乳を入とはげむ慈悲也 。」

 と述べられているように、お釈迦様や日蓮大聖人の慈悲を受けて、このありがたい『法華経』、そして「お題目」の信仰と共に老いも若きも目標を持って一日一日大切に、一生懸命生きていきましょう。


ミニ法話トップへ戻る

このページのトップへ ▲