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「心の持ち方」

記事:布教師 柳楽 諦謙

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 私のお寺の境内には、永代供養墓がございます。先日、檀家さんが、お参りに来られた際、「本当に、永代供養墓にしてよかった」と言われました。

 その方は、「以前は、山の中にお墓があり、水場も駐車場も遠くて不便で仕方ありませんでした。ましてや、行くたびに草がぼうぼうに生えて蚊に刺されたりして掃除するのが大変でしたから、本当に今は、いつお参りに来ても、綺麗に掃除してあるので、草取りをしなくてもいいし、お花も立ててもらって 極楽です」と。

 私は、そう言われてある意味、永代供養墓を建てて喜んでもらってよかったと思いましたが、檀家さんの言われた「草取りをしなくてもいいし」と言った言葉に、ちょっと寂しく悲しい気持ちにもなりました。

 人は、誰しも楽をしたいという気持ちがあります。だからこそ、文明が発達してきたのですからわからないわけではないですけれど、もう少し、手を合わす心ある考え方をしてもらえたらよかったのにと思ったからです。

 「草取りをしなくてもいいし」ではなく、その分、その時に自分に出来ることを「させてもらおう」という気持ちを持ってもらいたかったのです。 お寺の境内の草をひかせてもらうとか、その分ほかの所の掃除をさせてもらうとか、余裕のある心の考え方を持ってもらえたらよかったのにと思います。

 皆さんは、どうでしょうか?これに似た経験をされたことはありませんか?ご自分の胸に手をあてて考えてみてください。

 自分さえよかったらいいという考えでは、人としての成長はあり得ませんし、逆にこの世の中において知らず知らずのうちに罪をつくってしまうのです。あの世に逝ってからでは、罪を消滅することができません。

 少しでも、この世において人間として生きている内に、自分自身の罪障消滅をして、少しでも徳を積まさせて頂かなければならないのです。そのために、法華経があり、お題目「南無妙法蓮華経」があるのです。

 その時の状況に応じて自分の心をどう考えるかで、その人の心の真価が問われるのです。その真価が、『悟』ということと言えるのではないでしょうか。しっかりと、自分の心を磨いてください。

南無妙法蓮華経


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