ミニ法話

「経帷子」

記事:布教師 柳楽 諦謙

経帷子のお曼荼羅には、すべての人を救って頂ける功徳があります。

 先日、檀家さんの葬儀をした時のお話しですが、朝一番に電話が鳴り「先程、おばあちゃんが亡くなりました。」と、家族の方から連絡が入りました。その亡くなられたおばあちゃんは、93歳で、長生きといえば長生きなのですけれど、晩年の10年位は、病院での生活でした。その間にも、何回も危篤の状態になり、心配も多く大変な中、最後まで、ご家族の方は、良くお世話をされたと思います。

 最初の連絡から一時して、枕経を勤めに斎場に行ってからのことです。枕経が終わり、葬儀屋さんとご家族の方を交えて、通夜・葬儀の時間等を決め、最後に、経帷子にお曼荼羅を書いて着せるため、経帷子の確認をすると、葬儀屋さんの会員になっているにも関らず、別途料金がかかるとのことでした。
そして、担当の葬儀屋さんが勧めてこられた経帷子は、私の知っている金額よりも倍以上の高価な物でびっくりしましたが、質もデザインも良いし、襟元には花柄の刺繍が入っていて、とても綺麗だという説明を聞いて、ご家族の方は、「最後ですのでお願いします。」と言って、準備してもらうことになりました。

 私は、その経帷子にお曼荼羅を書いて着せに行きましたが、湯灌(ゆかん)をされると言われるので、その時に着せてもらうようにお願いして帰りました。

 葬儀も終わり、帰る間際に、ご家族の方がおっしゃるには、経帷子は高いように思えましたが、湯灌をする人が「経帷子、手甲、脚絆、頭陀袋 足袋等に、きちんとお曼荼羅、お経文を書いたものを亡くなった人に着せるのは、初めてです。きちんとなさっていますね。」と言われ、その言葉を聞いたときに、おばあちゃんに着せてあげて良かったと思いました・・・と。

 私自身も、その言葉を聞いて、お曼荼羅を書いてあげて良かったと思いました。

 ちょっと前までは、葬儀の一式の中に、経帷子は付いていることが当たり前でしたが、時の流れなのでしょうか。ここ最近では、どの業者さんもお願いしないと準備して頂けないようになってきているのが現状です。 
経帷子にお曼荼羅を書いて亡くなられた方に着せてあげることの意味がすたれ、簡略化されていくことが、私には、寂しくてなりません。
今の人達は、経帷子は、幽霊の格好のイメージが強いのか、自分達が着せたいものを着せて棺の中に入れてあげたいと言われます。
私は、故人に着せたいものを着せてあげたとしても、せめてその上でも、下でも、経帷子を着せてあげること、持たせてあげることが、亡くなられた人に対しての思いやりではないかと思うのです。 
経帷子に書かれるお曼荼羅のありがたさ、手甲、脚絆、頭陀袋、足袋等の経文の功徳や御加護の意味を今一度、考えてみて下さい。

 私の父親のお上人も、一昨年遷化致しました。母親は、清浄衣の下に、お上人が遷化したときには、自分が縫った経帷子を着せてあげたいといって、自分で一針、一針縫って準備し、出来上がったものをお上人に見せていた光景がついこの間のことのように思い浮かびます。 
皆さんも、経帷子を今からでも、少しずつでも縫って、思いのこもった、お曼荼羅の書かれた経帷子を着て、または、持たれて、仏様の元へ向かわれたらいかがでしょうか。

南無妙法蓮華経

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